今回のPULLは、編集グループメンバーの小林タクシーから、小劇場の劇作家・演出家の方々に送った以下のメールに対する答えを紹介するという形で番組を進めてまいります。「新しいコンテンツを考えるために」というのが当初の目的でしたが、これに対する回答の差異をみることで、はからずもつくり手側のスタンスの違いが浮き彫りになったような気がします。(小林タクシー)
・小林タクシーからのメール(全文)
【劇作家・演出家の方々からいただいた回答】
・堀川炎さん(世田谷シルク)のメール ・古川貴義さん(箱庭円舞曲)のメール ・三谷麻里子さん(元・つめきり)のメール ・澤唯さん(projectサマカトポロジー)のメール ・小栗剛さん(キコ)のメール ・ハセガワアユムさん(MU)のメール ・谷賢一さん(DULL-COLORED POP)のメール ・関村俊介さん(あひるなんちゃら)のメール ・岸井大輔さん(PLAYWORKS)のメール ・黒澤世莉さん(時間堂)のメール ・今城文恵さん(浮世企画)のメール ・佐々木なふみさん(東京ネジ)のメール ・青木秀樹さん(クロムモリブデン)のメール ・千田英史さん(Rotten Romance)のメール ・大塩哲史さん(北京蝶々)のメール ・友寄総市浪さん(国道五十八号戦線)さんのメール
+++++++++++++++++++++++++++
↓↓↓3/27(土)に放送した内容↓↓↓
―自作を演劇の作家が語ることについて考えた小一時間―
タクシーさんがPULLに関わるときに発想したコンテンツ案として考えていたのは、作家が観客について公式に解説する「ライナーノーツ」的な情報を集めた読み物系コンテンツ、というものだった。作家側が作品について語る情報が少ないのではないか?
その提案を、タクシーさんが個人的に知っている劇団主宰者、演出家の演劇関係者にメールで意見を尋ねたところ、20人ほどから回答があった。中継では、そんな回答メールを小林タクシーが読み上げ、柳沢がそれにコメントするような形で作家が自作について語ることの意味を考える、そんな番組になった。
中継の録画を残したかったのだが、技術面のトラブルで録画ができなかったので、当日話されたこの概要をもとにして、改めて記事化したのが、次のものだ。記憶に基づいて再構成したので、まあ、だいたいこんな内容の話だったと思っていただければ幸いだ。(柳沢望)
以下、小林タクシーからのメール(要約)
今日は相談と言うか、知恵をお借りしたくメールを差し上げました。(略)
「アフタートーク」というのがありますよね。(略)あそこで出る質問の多くが「あれってどういう意味だったんですか?」「あそこのシーンの意味を教えてください」というものだったりします。自分が見たかぎりですが、アフタートークにあんなに人が集まるのは、「よくわからない →モヤモヤを解消したい」というお客さんが多いからなのではないかと思うのです。さて、そんな疑問をいだいたお客さんがそういったときにどういう行動をとるかというと、多くのひとはネットで検索をかけてくるのではないかと思います。 (略)そこでたどりつくのはどこかというと、個人のブログだったり、CoRichだったりします。(略)根本的なことを言えば、あれらは「感想」や「批評」であってオフィシャルな「解説」ではありません。観客の理解を助ける可能性はありますが、その際に作者の意図 とは別のフィルターがかけられていることは言うまでもありません。(略)
簡単なあらすじ」程度のものでもよいので、作者が観客の立場に立って理解を促す公式のものがあったらいいのではないかと思います。そしてそれらが集積されているスペースがあればわりと有益なことではないかしらと。(略)情宣的にも、まだ一度も観に来たことがないひとをこちらに誘導するより、そうしたお客さんに対してのアフターケアをきちんとしたほうが意味がある気がします。(略)「なんかよくわかんなかったね」で帰さない努力をする。あるいは「おもしろかったね」をさらに「おもしろかったね」と言わせる助けとなるものを書く。CDのジャケットではなく、ライナーノーツに書いてある、みたいなことかな。ああいうの読むの、個人的には大好きなんですがどうでしょうか?
小林タクシーからのメール(全文)
ライブトーク中継でまず、紹介されたのは堀川炎さんからのご意見。
堀川炎さん(世田谷シルク)のメール
◎作品について突っ込んだことを書くのはネタバレに近い。映画などでも、ネタバレでがっかりする人も居る。
そもそも「ネタバレ」という言葉は、ネット文化によって一般化した言葉で、インターネットによって誰でも映画や小説の感想を公表できるようになってから問題視されるようになったことだった。
柳沢:「ネタバレを気にする人も気にしない人も居るけど、ネットのような場所では、ネタバレを読んで損したと思う人の気持ちをまず尊重しておくべきだというエチケットが生まれた。それだけのことなので、ネタバレということにあまり神経質にならなくても良いのでは?演劇ではストーリーなどのネタバレは気にしないという作家の声もあったし。」
次に、古川貴義さん(箱庭円舞曲)のメール
◎デスロック多田さんの作品解説は良かった。
デスロックの多田さんがアフタートークで話していることは、舞台を作る上でセリフのない場面や、古いシェイクスピアの翻訳と、舞台上の役者の存在をどう見せたいのかという、作品を作る基本方針のようなものの話。
タクシー:「アフタートークでは役者が疲れてくる様子を見せたかった、みたいなことを多田さんは言っていた」
柳沢:「ここで、多田さんが説明していることは、内容じゃなくて、作品コンセプトのことだよね。コンセプトというのは、作り手が作品を構築する上で意識できた方針のこと。ネタバレというのは、作品内容とか観客が受け取る内容に関わることだと思うけど、作品コンセプトは作品の枠組み、フレームに関することだから、説明しても「ネタバレ」にはならないと言えるんじゃないか。コンセプトのレベルのことはどんどん説明するべきだと思う」
三谷麻里子さん(元・つめきり)のメール
◎俳優指導者養成ゼミで「小劇場のチラシにあらすじ書かれていない。俳優も無名なのにどういうお客さんを呼ぶつもりなんだ」と言われた
あらすじが作品を紹介する目安になるというのは、演劇作品の骨格があらすじによって与えられるという演劇のコンセプトを前提にしているのだろう。
柳沢:「多田さんの作品とか、あらすじを紹介してもあまり意味無いよね。あらすじを紹介すべきだって言った人は、それとは全然別の演劇のコンセプトを持っていて、それが当たり前だと前提しているんだと思う。どういう作品コンセプトなのか説明するかしないかは別にして、作品を説明しようとする仕方そのものからコンセプトが伝わるってことはあるよね。チラシであらすじを紹介してたら、そういう物語を中心に演劇を考えて作っている、そういうコンセプトなんだって観客はなんとなく理解するんだと思う」
タクシー:「コンセプトという言葉だと、堅苦しいというか、わかりにくくないですか?」
柳沢:「うーん。作品の骨格というか、枠組みというか、フレームって言い換えてもいいのかもしれない」
タクシー:「観客に伝えるっていう事では、澤唯さんのメールを紹介したいんです。僕が送ったメールで、ネット上にあがっている観客の感想や批評について「作者の意図とは別のフィルターがかけられていることは言うまでもありません。それも一回観ただけのひとが書いた情報です。間違って受け取られている可能性だってあります」と書いていたのにコメントしてもらったんです」
澤唯さん(projectサマカトポロジー)のメール
◎「間違って伝わる」ってなんだろうか。「作り手の意図と違う」ということであれば、俺はどう受け取ってもらってもかまわないし、そもそも演劇ってそういうもんじゃない?
タクシーさんは、はじめのメールで「なんだかわからない、と観客が疑問を残したままになってしまうと、観客の足が劇場から遠のいてしまうのではないか、理解を深めてもらうことで、観客が劇場に定着するのではないか」という問題提起をしていた。
柳沢:「これって、タクシーさんが気になっていたっていう内田樹『寝ながら学べる構造主義』で書かれている話に関連するよね」
タクシー:「じゃあ、読みますね。「村上龍はあるインタビューで、「この小説で、あなたは何が言いたかったのですか」と質問されて、「それを言えるくらいなら、小説なんか書きません」と苦い顔で答えていましたが、これは村上龍の言うとおり(略)その答えは作家自身も知らないのです」(『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)p.128)
1960年代、構造主義の流れでは「作者の死」ということが言われたりした。つまり、言語のあり方や社会のあり方が作者というフィルターを形作り、それを通して作品を生み出しているのであって、作家が自分で作品を生み出したわけではない、というような考え方が世の中に広まっていった。
柳沢:「作者が作品を作ろうとするコンセプトというか、フレームみたいなものが、構造主義で言われるように、ある状況から生み出されたものだと言えるとして、観客の側が作品を受け取るフレーム、枠組みというのも、状況から生み出されたものだって言えるよね。観客が持っているフレームが、「演劇ってこういうもの」という思い込みになっていて、それが作者のフレームとあまりに食い違っているために素直に受け取れない、拒絶反応だけで終わってしまったり、理解不能と思って終わってしまうってことはあると思う。それで「さよなら」ではつまらないから、作品のコンセプトというか、作者がどういう基礎に作品を据えようとしているのか、意識できている範囲のことを説明すれば、観客のフレームと作者のフレームの調整はできるかもしれないし、そこから観客と作品が出会える道が開けるかもしれない。だから、そういう説明はどんどんすればいいと思う。コンセプトの説明は「言いたい内容」とか「伝えたいテーマ」の説明とは別の、作品をどう設計したかって話だから、次元が違うわけです」
タクシー「作者自身には説明できない、作者には自分のことがわからないこともあるっていうことで言うと、何人かの人から、「作者インタビューは有効じゃないか」って意見が返ってきたんです。たとえば次のものとか」
小栗剛さん(キコ)のメール
◎「自分の作品を自分で解説するのに気が引けてしまうシャイボーイシャイガールも多いし。作者再度には「インタビュー」という方が気が楽でいいと思う」
タクシー:「柳沢さんとしては、作品を成り立たせる作者のフレームの説明と、受け取る観客側のフレームの話だけすれば良いので、内容の話はしないほうが良いという感じですか?」
柳沢:「いや、テーマとか内容のレベルでも、作者には見えていないことをインタビュアーが外から指摘することで、作家や作品についての理解が深まるってことはあると思う。内容といっても、テーマというレベル、素材というレベル、そのディテールというレベルとか、いろいろな水準がある。作品を作る上では、いろいろ素材を集めて、取捨選択するわけでしょう。そこで何が選ばれて、何が捨てられているのか、そういうディテールに注目していったら、作家自身は気がついてないこだわりとかが見えてくるかもしれない。案外、そういうディテールの取捨選択に、作家にとって重要なポイントがあって、それが見えるとすごく作家のことがクリアにわかるとかってことはあるだろうし」
タクシー:「自作を語るってことでは、ダルカラの谷賢一さんと、MUのハセガワアユムさんの考え方が対極だったのでちょっと紹介してみたいんです」
ハセガワアユムさん(MU)のメール
◎「セルフライナーノーツやインタビューなんて映画業界も音楽業界も溢れてるのに、演劇業界ではなんかよくわかんないんだけど「自分自身の作品を語ること」はかっこ悪いとか、おこがましいみたいな匂いを感じてて、それはお客さんに見せる前にある「自信の無さ」や、単純にスキル的に「書けない」って人が多いだけだと思う。さっき挙げた映画や音楽は、試写会や視聴してもらってプレスリリースが出来るんだけど、演劇はそれが無理なのであれば、作家自身がもっとプレスとしての役割をするべきだし、せざるを得ない。照れてる場合でもないし、ただ単にスキルが無いなら磨けばいいし、みんなどんどんやるべきです。自分自身で自分の作品を語れない、というのは客観的に自分に作品が見えてないということでもあると思っています。」
谷賢一さん(DULL-COLORED POP)のメール
◎「自分の作品について語るのは野暮だ、という思想が多かれ少なかれ作家にはあると思いますし、日本文化の一つとして「言わぬが花」「沈黙は金」みたいなのも無意識下に流れているでしょう。ただ、小劇場界に関して言えば、まともな批評家がほとんどいない現状、自分で自分の作品を語らなければならないということもあるかもしれません。動員や集客を考えても、問わず語りの自分の作品語りは効果があるかもしれません。それでも、自分は「何だかカッコ悪いなぁ」と思ってしまいます。そしてそういう美意識は、もちろんメシの種にも金の卵にもならないのですが、なくしてしまうことは芸術家にとって命取りになるようにも思います。」
柳沢:「谷さんの美意識もわかるし、ハセガワさんの戦略も有効だと思う、でも、それぞれ別の仕方でコンセプトが伝わることを期待してるって言えるんじゃないか。ハセガワさんみたいに、背景やディテールの説明を重ねていて「こういう作品をこういうスタンスで作ってるのか」ってことがお客さんに明確だってことは「こういう作品なら俺はみなくていいや」って思う人もいるかも知れないわけで。それはそれでいいのかもしれない。谷さんが言うみたいな美意識を突き詰めると「コンセプトくらい、説明しなくてもタイトル一発で通じるだろ?」みたいなスタンスになるかもしれないし、そうなると、フレームを共有したコアな客層にターゲットが絞られていって、コアな人たちの間だけでセンスを磨きあって行くみたいな世界になるかもしれないよね。そういう意味では、ハセガワさんが、作品の背景とかを説明している部分は、観客と作り手がもっとコミュニケーションを広げるきっかけになるかもしれないと思います。創作プロセスで上演では取り上げなかった要素なんかをもっと開示していくと、観客にも作家の作業の実際が見えて良いかもしれない」
タクシー:「昔だったら、チラシだけだったものが、CoRichだとかツイッターだとかメディアが増えて、作品作るだけでも大変なのに、やることがふえて、とても手が回らないよって声もあります」
柳沢:「チラシの話だと、MUのポッドキャストで堀川炎さんをゲストに話してたことが面白かったですね。折込を廃止してどうだったかという試みの話(※)。集客って広告メディアのあり方に関連したことだから、時代が変われば対応を変える必要があるのは当然だと思う。CoRichに振り回されるつくり手が多いのは問題という人も多いけど、CoRichというメディアでの盛り上がりが目立つのは、ある種、瞬間的な沸騰みたいな感じもあるよね。一見目立たないけど深く刺さっている演劇をめぐるコミュニケーションもネット上にいろいろあると思うので、そういうものをめざとく見つけていくべきだと思う。いずれにしても、上演だけが作品というわけではなくて、タイトルを決めて、告知して、チラシを作ったりして人を集めるということの全体を含めて作品だと思うんです。コンセプトっていうと、商品開発とか広告戦略とかでも使われる用語でもあるけど、作者と観客がお互いのフレームについてどういうコミュニケーションができるのかってことを、メディア状況の変化に応じて考えていく必要があると思う。そういう意味では佐藤尚之『明日の広告』(アスキー新書)で語られるような広告界の見方も参考にしていくべきだと思います」
タクシー:「今日はもっとメッセージ紹介したかったんですが、もう予定の1時間を越えてしまって申し訳ないです。第2弾で今日紹介できなかったメールも取り上げながら続きを考えて行きたいと思います」
※MU Podcast vol.1 Guest:堀川炎さんと語る、宣伝美術について(前編) http://mu-podcast.seesaa.net/article/142985604.html
|