「PULL」は、さまざまな視点から演劇を考え続ける場です

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現代演劇の前提(をさぐる)-1
2010年 10月 23日(土曜日) 09:25

 
PULLへの持ち込み企画です。
HP上でのポスト・トークを行います。実際に行ったものを収録したのではなく。
PULLでの公開を前提に撮り起こした、新企画です。(カトリヒデトシ)
 

 

澄井葵[青年団演出部、,5]×羽鳥嘉郎[けのび]×柳沢望


まじめに現代演劇を志向する、澄井葵や羽鳥嘉郎の活動が「閉じている」「文脈的」などと評される状況へのひとつのアプローチとして、PULLへ持ち込まれた連続鼎談企画。演劇の、未来と現状のひとつのでんぐりがえりっぷりが垣間見れるかもしれません。また、2010年8月にアトリエ春風舎にて上演し、「難解」「分からない」といった声が多くあがったスミイ企画『日常茶飯事』のアフタートーク的役割としても是非、ご一読下さい。


<プロフィール>
 

 
澄井葵(すみいあおい)
青年団演出部所属。,5(てんご)。身体と言葉が過不足なくある状態をゼロ地点として、それより少しだけ余分を作ることでできる隙間分の演劇分だけ適性を目指して活動中。最近の作品は、青年団若手自主企画スミイ企画『日常茶飯事』、利賀演劇人コンクール『コーラスガール』。
 

 
羽鳥嘉郎(はとりよしろう)
演出家。2009年より、けのび。劇というアイデアは何でできているか、できうるのかという問を前提に活動。「すくなくとも一層外あるいは中」「連続性」などといった劇の性質を手がかりに、あらゆる生活局面をも含む「劇」概念から、いかにしてともに生きるかを考える。アプローチのひとつとして、忘却のメカニズム(機能)に注目し展開している。劇場に限らず各地でフェスティバル等に参加し、領域をひろげる。浜松・栃木にて作品展開に向けて取材中。
・けのび公式サイト: http://kenobi-.tumblr.com
・「明晰にわからないように」(演出羽鳥嘉郎のインタビュー): http://tokyocondition.com/?page_id=914

 

 
柳沢望(やなぎさわのぞみ)
1972年生まれ長野県出身。法政大学大学院博士課程(哲学)単位取得退学。劇評サイトwonderlandや個人ブログに劇評多数。
・旧ブログ「白鳥のめがね」: http://d.hatena.ne.jp/yanoz/
・ワンダーランド寄稿一覧: http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=9
 


<配慮について>
   柳沢が『日常茶飯事』の台本を出す。
——澄井 あ、(お買い上げ)ありがとうございます。
——柳沢 なんか、この上演台本も含めて、作品、という感じもしますね。このあいだの上演は。チケット代を300円高くして全員に配っても良かったかもしれない。
——澄井 ああ、そうですね。みんな持ってた方がよかったかもなー。
——柳沢 なんか、戯曲は戯曲で作品になってるし、戯曲の冊子自体が作品であることを前提として舞台があったっていうか。けのびの『致富譚』のあと羽鳥君に、「演出の意図というか、どんな作業を役者さんにしてもらってるのかっていうことを、お客さんに伝えた方がいいんじゃないの」って言いました。スミイ企画にアフタートークをしてくれってリクエストがあったってことにも関わると思うんだけど、羽鳥君や葵ちゃんにとって当たり前の事が、多くの観客にとって当たり前ではないわけですよね。何を目指して、どういう文脈で何をやってるのかっていうことを分かってもらうことに多少気を配る事は、必要不可欠ではないけど、作り手としてはその方が得をするのではないかな。お客さんとの関係というか、シーンとの関係というか、双方よりハッピーになる気がします。そういうのは劇評とか書く人の責任というか、必ずしも作り手の責任ではないだろうという気もしますが。
——羽鳥 僕らが何を当たり前と思っちゃっているかが、自身分かってないんじゃないか。大阪と京都に行って来て(けのび『等々力』)、合評会が毎回終わった後にあって、それがすごく良かったんです。だけど、今柳沢さんが言ってるような、僕とか葵ちゃんとかに多分共通してるであろう、本当は観客に先に言っておかなきゃいけないこと、みたいなことが結局まだ僕ら分かってない気がする。京都の時は、1日目の質問があまりにも劇場の話ばっかりだったから、例えばそれこそ「君たちは30分僕をこの場に座らせてるんだから」とか。だから次の日から当日パンフレットで「劇場とは何か」って書いたりして。多分、もっと色々ある。
——柳沢 んー。そうですね。
——澄井 私、むしろものすごい分りやすく、『日常茶飯事』作ったつもりなんです。ものすごく見やすく、分りやすく作ったつもりなんです。このテキストの、楽しいアトラクションだよ、みたいなことも込みで色んな人に楽しんでもらえたら、っていうのがあったんですけど、わりと楽しんでもらえなかった、楽しむっていう感じのものではなかったらしいっていうことが。その齟齬はどうしよう、こんなに分りやすくしてみたのに。間口を広げる、みたいな。
——柳沢 うん。間口を広げようとしてるだけでいいと思う。
——澄井 (笑)やだよー。でも逆に利賀村(,5『コーラスガール』)は、間口を狭くしたんですよ。演劇をよく観てる人達が集まってるからなって思って、間口を狭くしたら、なんかもっと広げてなきゃいけなかったみたい。駄目出しを受けた時に、「コンクールなんだからさ」ってすごい言われたので、あ、逆か!みたいな。そう、それで、分かってないことがあれば、そこを踏まえて作るから、もうむやみに「分からない」って言われるのツラい。何か、(俳優が)閉じてる、閉じてるっていうようなことを言われることとか、閉じてるわけでもないし、お客さんを蔑ろにしてるわけでもないし。むしろ、お客さんと一緒に進んでいこう、みたいな、ことを求めているんだけど、それに対して、お客さんを蔑ろにしてるってすごい言われてる感じがする。
——羽鳥 だからその、配慮が足りないと思わせちゃうのは何なのか、だよね。
——澄井 むしろ一緒に歩く、ってことがそもそも失礼なのか、みたいな。(ごにょごにょ)
——羽鳥 なんかもっと、進んでるものを見始めたいのか、とかさ。分かんないんだよね。もちろんこっちだって、身体を立ち上げてるところなんて、毎回見たくないから、ちゃんと飛ばしてやってるのにな。それは舞台裏でやっといて、みたいなことはやってるんだけど。そういう問題じゃないのかな。
——柳沢 うん、そういう問題じゃないんでしょうね。その人達が言ってる配慮がないっていうのはね。
——澄井 でもさ、利賀でやった時に、審査員の人に、「声が聞こえない」って言われて。その時に「ま、耳を澄ませば聞こえるけどね」って言われたから、むしろ耳を澄ませて欲しいからやってたんですけど、みたいな気持ちになって。それで配慮が足りないとか、お客さんのことをもっと考えろ、みたいに言われて、でもそれって、(お客さんに)その身体で観て欲しいっていうのがあるから、そういうことをしてて。だから、「これを観て何を伝えたいと思ってるんですか」みたいなことを言われたから、最終的に、見終わった後に外に出たら「川の音がよく聞こえる」とか「風の音がよく聞こえた」とか、それぐらいで幸せ、その方が幸せなんだけど、って。お客さんの身体作りみたいなことが駄目なのかな。
——柳沢 駄目じゃないけど、やっぱり今までの、演劇こうあるべきっていう風に思って観に来る人達にとっては、彼らの演劇観みたいなものが蔑ろにされてるように思ったりするわけでしょ、きっと。でもそういうことは全然、気にしないでやっちゃっていいような気もする。反発をする人がいることとかはぜんぜん問題じゃない。
——澄井 でも、柳沢さんが「(スミイ企画についての判断の困難は)意図を読み込むことをもって作家の確信めいたものを享受する習慣をどこかで身に着けてしまった観客にとっては、なおさらだ」って、劇評(スミイ企画『日常茶飯事』 ―すれ違うことで出会い直す― http://www.wonderlands.jp/archives/12677/ )に書いてたじゃないですか。なんかもう、私のチャレンジじゃあ駄目じゃん、みたいなことを思った。駄目じゃないけど、もうちょっと戻らないといけない。戻るっていうか、ここまで進んでるはずだから、もうその次、やっても大丈夫、っていうのが、まだそこまで行ってなかった。ほら、柳沢さんがブログの、鰰『動け!人間!』のレビューで、「こういうことはもっと真っ当にたくさんあっていいと思う」みたいな、そういう事が。
——柳沢 うんうん。でも作り手はそれで行って良いと思うし、伝わる人には伝わってるから全然問題ないと思うけど。でも、そういう人ばっかりではないのは間違いない。ただ、何でこの素材を使うのかとか、何のチャレンジをしているのか、何の作業をしているのか、何でそうすることを真っ当なことと考えるのか、そういうことをもうちょっと説明できた方がいいのかも。
——羽鳥 素材って何?
——柳沢 例えば、そのテクストを選ぶということもそうだし、この俳優に出てもらう、とか。そこに理由がないわけはないのであって。ただ、単純にその理由を一言で言えるわけはないっていうことだと思う。それを、理由なんてないって言っちゃったら、お客さんに配慮が足りないと思わせるんだろうね。まぁそこで、本当は作家がそんなことやる必要はないのかもしれないけど、どういう文脈があるのかってことが伝わるようにすることは、多分、演劇っていうジャンルの中で付きまとう問題かなと思います。演劇じゃなくて、芸術って言っても良いけど、広く。
——澄井 そういうアレ(作業の説明)で言うと、どんどん、意味をね、出来るだけ持たせないっていうか、意味がなくなるまで、なくなるところまで、意味ありげなものをすごい一生懸命、意味がないところまで、「モノ」にする作業を、結構やったんですけど。劇場が、ちょっとするとすぐ意味を持っちゃうからすごい腹が立つ。
——柳沢 でもさ、そこですごい戦ってるって事を分かんない人にとっては、全くわけの分かんないことを何の考えもなしにやってるように見えるわけだよね。
——澄井 むー、意味とかそうだよねー。その意味がないことに意味を考えちゃうくらい。よく皆劇場でやるよな。だってあんなに、誰の許可で今意味持ったー、みたいな気持ちになる。なんかさ、あんなに不用意に。それこそ、ポタライブじゃないけど、外でやったほうが意味がなくて、素敵、みたいなことが、もっと簡単にあるから。簡単っていうか、もっと大切にあるから。いーな、って、いーなーじゃないけど。ああいうことじゃないけど。はー。もっと上手くなればいいのかな。
——柳沢 そりゃ突き詰めていけばきっと、もっと伝わるようになっていくとは思いますけど。
——澄井 そういうことじゃないのかもしれないけど、コンテンポラリーダンスのお客さんは待ってくれるじゃん。演劇のお客さんは待てない、じゃないけど、期待する部分が違うから。待ってたらなんか起こるかも、っていう期待度は、あんまりないのかな。
——柳沢 そういう傾向はある・・・小劇場演劇以来の、演劇シーンが育ててきたお客さんのあり方の問題じゃないですかね。
——澄井 また観客への配慮みたいなことになるんだけど。お客さんに対する責任はどう考えているのかって利賀村で言われました。で、私、声が小さいって言われて、聞こえなくていいわけ?って聞かれたから、「はい」って言って。それは別に聞こえなくても、伝わるものがあるから、伝われば聞こえてくるから、それわざわざ聞こう聞こうじゃないけど、テレビのボリュームじゃないけど、上がるわけがないんだから、お手軽なものじゃない、みたいなことも含めて、そこにあります、って提示してたつもりだったんだけど、伝えるという責任をどう考えているのかって。作品のテーマとか?お客さんに伝える責任、お客さんは聞こえないって言っているんだ。何をやろうとしているのか、よく分からないんだ、そもそも聞こえないんだ。もっと小さくすればよかった。もっと聞こえなくすれば良かった。
——柳沢 そんなのさー、ジョン・ケージつかまえて、何で音出さないんだ、ピアノ弾かないんだって言ってるのと同じだから、ほっとけばいいと思うんだけど。
——澄井 んー。利賀村の審査員の人に言われると余計凹むよね。当日パンフにジョン・ケージって書かないと駄目なのかな。そういうワードが当日パンフとかにちらっとあって、そういうラベルを貼ってくれるだけで、楽になることってあるのかな。
——羽鳥 とてもなるとは思わないけど、でも京都の当日パンフにジョン・ケージって書かなきゃいけなかったから、書いた。とりあえず、こっちがかろうじて言えることがあるとしたら、あなたは劇場の要求に応えなくていい、っていうことしか言えない。かつ、劇場に今あなたが何を要求されているか、自分で考えて下さい、っていうことを書く為に、ジョン・ケージって名前を出した。
——澄井 でもそれじゃ、すまなかったんだよね。こないだ、こういうジャンルの、こういう作風の人達はアフタートークやらないと駄目じゃない?って言われて、こういうジャンルってなんだろうってもやもやした。でも括られたら、楽になる?今やってる作業は。
——柳沢 それで楽になったら堕落する。
——羽鳥 今やってる作業が楽になるか、堕落するかどうかは別にして。自分のテーマ系を探ること以外に、文脈とか背景を説明する方法は無いのか。自分たちが気にしてることやそれに使ってる方法を体系化しないと、それこそ前に言ってた「稽古場の系譜」みたいなこととかを、作らないと、文脈とか背景の話ができないのかどうか、
——柳沢 系譜は、ある程度、必要かも。どこまで精緻かは別にして。伝わっていることを語ってほしいとすると、それこそ、そのための文脈が必要。僕が語れたのも文脈が有ったからだし。語ってくれる人を増やすには文脈の掘り起こしが必要、というだけの話だろうと思います。二人とも良い位置にいると思うよ。文脈の掘り起こしというか。そういう作業をするための。


<身体について>
——羽鳥 あー、そうだ、客の身体を作るって何?
——澄井 えー。何で?羽鳥さんやってんじゃん。だって私、羽鳥さんのやってるのとか観て、やっていいんだってそれこそ思った、みたいなことだもん。
——羽鳥 やってることは認めるけど、それは効果だし、演出じゃないから。こういう身体で観て欲しいっていうのがすごく強くあるのが僕には分からない。僕は、電車の中でも出来るようになりたいし。
——澄井 そっか。でも、マッサージと一緒だよ。ちょっと揉まれて、ふっと顔上げて、あ、よく見えるようになった、とか。私、今までこういう風にしか見えてなかったけど、疲れが取れてちょっと視野が広がりました、みたいなことってあるじゃん。
——羽鳥 まぁあるけど、だからそれを、俳優に個別にやるマッサージを僕は認めてない。例えば、視野を広げるワークショップ自体は僕、けのびの稽古でもたまにやる。お客も俳優も、そこに入ってもらう操作は必要ならするよ。
——澄井 んー。でも、もっと一緒に行けたらなって。この身体じゃないとこの感覚伝わらないみたいな事がある気がするから。その身体にまずなる、みたいな時間を作らないと、聞こえてくる音が違うじゃん。その身体だったとかその身体じゃなかったとかで。その聞こえてくる音から、同じ音を聞くことが起こって欲しいみたいな。なんか、あれでもいいんです。映画館で、こう3秒に一回、コーラの写真が入っていて、見終わるとコーラを飲みたくなってる、あの、何て言うんですっけ。サブリミナルでもいいんです。それでも良いって言うか、そういうことがあってもいいと思う。
——羽鳥 んー、もうちょっと優しく、言うとさ、劇場にまぷ(指輪ホテル:羊屋白玉邸の猫。20歳)がいる。ロビーに。ロビーでまぷを20分くらい見てから劇場に入るっていうのはそうだよね。こんなにゆっくり動いてて、止まっててもゆらゆらしてるものをずっと見てる、つい見てることの価値はあると思うけど。
——澄井  あ、だから客入れで、終わってなきゃいけないのかな。それか最初の10分、儀式的に済ませておくか。でも10分じゃ終わんないんだもん。人によっては結局変らないでいる人もいるから、やっぱ。そういう意味でも間口を広げるってその、ちょっと身体変わる人が1割から3割になったよ、今回は、ということして努力してみた。
——柳沢 手塚夏子さんが「観客席が海みたいだ」ってどこかで話してたと思うんだけど、アメリカでやった時にそれが全然違ってたそうで。日本でやってる時みたいには跳ね返ってくるものがなかったっていうんですよね。で、それはやっぱり、日本だと客席同士の間で空気が出来るっていうか、お互い同士でこう響き合って返ってくるっていうのがあってね。アメリカだとそれが一人一人バラバラに返ってくるような感じがしたって言うんですよ。で、羽鳥君が、関西に行ってさ、全然違う反応が返ってきたって話をしてたと思うんだけど、その、一人一人のそれぞれの人の見方っていう話と、その、集合的な見方っていうか文化のレベルの話と両方あるよなーっていう風に今の話を聞いていて思い出したんだけど。
——羽鳥 その集合への働きかけが、葵ちゃんの方がより具体的にやってると思う。
——澄井 あれもそうですよね。けのびが『センタリング』を、12月にST spotで小口(美緒)さんとやった時も、すごい前でやって、すごい後ろが空いてて。でもあれも効果か。
——羽鳥 全部効果。演出の範囲ではない。葵ちゃんが言ってるのって最終的に皆にマッサージをすれば済むんじゃないかって話にはならないのかって僕は思うんだけど。たまたま僕が今日は葵ちゃんに極論を投げる係になってて、これを読んだ人に誤解されると嫌ですけど。
——澄井 だから、触れないでそれが起こせたらいいなみたいな。触れないで、同じ時間を共有してるだけで起こってたら、次も来てくれるじゃん?分かんないけど。同じ時間を共有してそういうことが起こったら皆、あ、宗教じゃんね、今言ってて思ったけど。でも、そういうことが起こったら、楽しいじゃん。
——羽鳥 でもさ、何でそんな幹部だけにさ、グル(教祖)が触ってあげるの?
——澄井 だって、その人達が、あれみたいなものじゃん、キリストのさ、あの人達が散って、さらに布教するんだよ、みたいな。
——羽鳥 何でその人達にだけ、触るの?その人達だって言葉だけでやってあげた方がその人達は真似しやすいじゃん。その人達が身にしやすいとは思わないの?
——澄井 でもほら、一回でも触って、共有しといた方がいいと思って。
——羽鳥 それを触らないと何故できないの?
——澄井 単純に、それは私がまだ言葉でそれをできないから。コミュニケーションが早くなる、だけ。もっと本当は時間をかけて対話していかなきゃいけないところとかも、一対一で俳優をマッサージする時間が3時間あったら、もう3時間後にはなんかこう、そのコミュニケーションが何かの形になってたりするから、それはそれで私、それがないと多分始められない。私がその人達にしゃべる言葉がやっと見つかる、みたいなことだけど、きっと俳優さんは、私のその不器用なところを超えて、お客さんに、それが出来る人達だって思ってる。でももうマッサージは当面、できるだけしないように心がけようと。なくてもやれる努力をしようと。単純に、それに興味のない人もいるから。
——柳沢 全然、マッサージしていいと思うんだよね。なんで、そこから言葉が生み出せるのかってことをもっと観察するというか、調べるというか、慎重に、そこで何が分かって、何の情報が得られたのかってことを。
——澄井 むしろ私の方がその人の身体のことを心配する。本人よりも。誰よりもではないけど、お母さんの次に私が心配してる、くらいは心配してる。あと、私が多分、ものすごい愛情を持てればいいんじゃないかな。
——柳沢 ピナバウシュのヴッパタール舞踊団に、マッサージと違うかもしれないけど、身体のコンディションを専門に見るスタッフがいて。その人が昔、ST spotでワークショップをやってて、僕はその発表会みたいなのだけ、観に行ったことがある。どういう身体で舞台に立つか、っていうことだけ専門的にやる人がいたっていう話なんだけど、わりと演出の部分にそういうものが必要なんだとは思いますけどね。
——澄井 この前、カワムラアツノリさん(初期型)に振り付けをしてもらって、ポップなメソッドを色々やってくれて。椅子の上から音もなく降りる、とか。そういうことができなくて、ドスンって降りて肉離れになってる木引優子(青年団)とか、そういうのも楽しいっていうか、この人は椅子から降りることを続けていたら肉離れになってしまうんだ、みたいなことも含めて、そういうことから始めないと。でも、もっと早く行きたいです。もっと早くそこに行けるといい。本人とは関係のない所で、その身体と会話できるみたいなところ。だって羽鳥さんがディレクションする時はそういうことしてるじゃん。
——羽鳥 どの瞬間がそういうことをしてるって見えるのかな。わかるけど。
——柳沢 それはさ、けのびと、,5の合同ワークショップでもしたらいいんじゃないですか?お互いの演出ぶりを観察し合う会。

構成:羽鳥嘉郎


<今後の予定>
・「現代演劇の前提(をさぐる)-2」は11月後半のアップを予定しております。鼎談相手未定。
・羽鳥嘉郎演出:けのび『等々力』
11/6 19:00- @大阪芸術創造館(CONNECT vol.4参加)
11/20 15:00- @渋谷百軒店児童遊園(東京の条件works2010 / SCAPE WORKS2010参加)


 

 
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